志賀海神社
福岡市東区志賀町
志賀海神社
ご神祭「綿津見三神「海神の総本社」「龍の都」と称えられてきた由緒ある神社です。
全国の綿津見神社、海神社の総本宮(海神の総本社)を称し、4月(山誉祭)と11月(海誉祭)の例祭において「君が代」の神楽が奉納される。 禊祓の神様だけに清めの御汐いが各所においてある。
*建創は定かではないが約1800年前、筑前国風土記に神功皇后が三韓征伐の際に志賀島に立ち寄ったとの記述があり、代々祭祀を司る阿曇氏の祖神である阿曇磯良が舵取りを務めたとされる。
安曇族は志賀島を一大拠点とし、国内や大陸との交易を広く行っていた。
その交易の足跡が対馬・兵庫・長野県安曇野市・石川県志賀町・滋賀県安曇川・愛知県渥美半島
など「しか」「あつみ」と称した土地に多くみられる。
鹿がいたから志賀島という説も。
鹿の角が保存されている。
亀石遥拝所神功皇后の三韓征伐のおり、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れた故事にちなんで後世奉納されたもの
志賀海神社
ご神祭「綿津見三神「海神の総本社」「龍の都」と称えられてきた由緒ある神社です。
全国の綿津見神社、海神社の総本宮(海神の総本社)を称し、4月(山誉祭)と11月(海誉祭)の例祭において「君が代」の神楽が奉納される。
安曇族は志賀島を一大拠点とし、国内や大陸との交易を広く行っていた。
その交易の足跡が対馬・兵庫・長野県安曇野市・石川県志賀町・滋賀県安曇川・愛知県渥美半島
など「しか」「あつみ」と称した土地に多くみられる。
鹿がいたから志賀島という説も。
鹿の角が保存されている。
亀石遥拝所神功皇后の三韓征伐のおり、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れた故事にちなんで後世奉納されたもの
by greenmist2
| 2012-04-22 12:49
| 史跡めぐり
デジカメもブログも楽しい今日この頃
by greenmist2
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
メモ帳
カテゴリ
全体自然
flash
携帯
動画
史跡めぐり
その他
未分類
検索
以前の記事
2022年 01月2021年 10月
2021年 01月
2020年 01月
2019年 01月
2018年 01月
2017年 01月
2016年 01月
2015年 01月
2014年 01月
more...